木造聖観世音菩薩立像の由来

平安時代前期の作 像高158.8cm
大正10年4月 旧国宝に指定
昭和26年4月 国の重要文化財に指定

若狭国霊場 第32札所 無悪山安楽寺の観音堂のご本尊は、お顔も円満で、量感豊かなお姿であり、手には蓮華の水瓶(すいびょう)をもち、参拝する人々に心の平安を与える優れた観音菩薩像です。

その構造は、桧(ひのき)材の一木(いちぼく)造りで内刳り(うちぐり)はなく、彫眼(ちょうがん)とし頭上太く結い上げた髪や山型の宝冠(ほうかん)・耳を覆う巻髪(まきがみ)は古様を示し、浅く流麗な衣文や、両腕に彫られた華やかな釧(くしろ)の表現など、本像が平安時代前期、王朝文化盛んな頃の本格的な仏師の手になることを示しています。

本像は、かつて厚い金泥彩色(きんでいさいしき)に覆われていましたが昭和4年の修理で洗われ、その下から当初に衣に描かれた文様や部分的に残る美しい彩色が現れました。岩を表す台座に立ち、背にはその威光を示す光背(こうはい)が附属しますが、これらは後の製作となっています。

「安楽寺縁起」によれば、この観音様は行基の作で、平安時代の公卿(くぎょう)小野篁(たかむら)の念持仏であったといわれています。

有名な書家であった小野道風(とうふう)の祖父である篁が、承和5年(西暦838年)に隠岐(おき)国に流罪となり、その後許されて都へ帰る途中、海上で強い西風に遭って若狭の田烏(たがらす)の海岸に漂着しました。上陸後、篁は海士坂(あまさか)峠を越えてこの無悪(さかなし)の地に入り、保養のため3年間とどまったと伝えられています。その時、篁が信心していた観音菩薩像を安楽寺に安置したのが始まりとされます。

ご本尊のご開帳は33年ごとに営まれます。観音菩薩像は、およそ1000年にわたり慈悲深くこの無悪集落を見守り続けてこられました。なお、毎年7月17日に法要供養が行われています。

管理者 無悪山安楽寺

木造聖観世音菩薩立像

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